断絶タンブラー

ずっと睡魔のターン。

Mon Nov 9

『空の境界』の驚きは、小規模なロードショーを行うだけでOVAタイプの作品が各巻10万本売れるという事実である。つまり、テレビ放映がなくても、十分な宣伝効果は可能でテレビシリーズを大きく上回る映像パッケージの売上が実現出来るという発見である。

 実はこうした現象は、『空の境界』だけに限ったものではない。『空の境界』は劇場興行と映像パッケージのギャップが大きかったことから注目をされたが、同じ様な現象は劇場版『機動戦士Zガンダム‐星を継ぐ者‐』(2005)、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』(2007)、『時をかける少女』(2008)で既に用意されていた。
 事前の予想を上回る映画興行、そのなかで醸し出されるお祭り感、一体感、そしてヒット作=面白い作品という期待である。こうした作品はお祭りの着地点として、映像パッケージが設けられた。通常DVDやBDを買うのは作品映像を買う側面と、パッケージに付属する特典を購入する側面がある。しかし、ここではお祭りに参加した証として、最終的な確認のための映像パッケージの存在が垣間見える。

アニメ、マンガの作品レビューと批評

「脱テレビ」についてもう少し考えてみよう。アニメにおけるテレビ放送抜きのビジネスは、実はここ数年少しずつ増えている。その大きな理由は、アニメのテレビ放映は深夜を中心に、製作費以外に電波代などテレビ局に追加に支払うコストが発生するからだ。
 映像パッケージの売上げが下がるなか、これがアニメ製作にとって負担になりつつある。一方で、地上波、U局ネットで放映することなく発売されるOVAも増えている。そのラインアップには、それまでテレビで放映されていた人気アニメの続編シリーズが少なくない。また、講談社がOADと呼ぶシリーズのCLAMP作品、『魔法先生ネギま!』など、集英社の『To LOVEる-とらぶる-』など、出版社が自社作品を自らアニメ化して、書籍流通で販売する方法も増えている。こちらもテレビアニメの放送は原則ない。

 これらの作品に共通するのは、既に先行する作品・原作があり、知名度が高い点である。作品自体に相応の知名度がある場合、目標とする売上の大きさによっては、テレビ放映は必ずしも重要ではない。
 深夜放送に期待される大きな役割のひとつが作品の認知度のアップだ。しかし、地上波テレビ放送=大型作品との認識とは裏腹に、大型ブランドであればあるほど深夜のテレビ放映から離れていく傾向がある。

アニメ、マンガの作品レビューと批評
これは聞いた話しなんですが、セル画の検査上がりを撮影所に入れるときの話し。
とにかくセル画の時代はアナログアナログのどこまでいってもアナログ。
移動は多いし、セル画は重い(ダンボールひと箱でゆうに20kg以上)。
撮影でリテイクが出ればすべてセル画の検査からやり直し。
当時は携帯電話もなし。
そんな感じの時代背景。で、話しの続き。
ある撮影所の横は川が流れていたそうで、ある日、大雨で橋が車で渡れなかったそうです。
川の向こうの撮影所。
その橋の手前に次々と増えていく各社の制作。
さっきも書いたように、携帯もなかった時代。
スケジュールがなかったのは今も昔も同じこと。
呆然とたたずむ制作。
たぶんそこいいる制作のほとんどが明日には現像所につっこんで原版を組まなきゃいけないんだと思うよ。
ある制作が意を決して、おけ (よく押入れに洋服をしまうときにつかう、ディスカウントストアに売ってるアレです。) に蓋をし持ち上げたそうです。
そして、おけを頭の上に置き(これだけでも重ぇ)、水の中へ。
ほんとかなあーと思うのですが、本当らしい。
これでリテイクとか出たら、マジで膝から落ちそうな気がする…。
creator’s office ufotable (via nisoku2)

自分はアニメやカードなど、メディアミックスについて、不満を持つと言う事はありませんでした。持っていたら、あそこまで展開する前に反対をしていたでしょう。文章にある「2005年半ば」などを見ても、関係者の書き込みっぽくなっていますが、そんな事はありません。連載終了時期などは、ガッシュにてやる事が無くなったから終わりたいと、伝えていました。この一文がなぜ書かれたか?誰が何の為に書いたか?全くもって不思議です。

他にも、まぁ細かく言えばきりがないのですが、 〜アシスタントになるまでは孤独との戦いで給料が入る直前の口座の残高は数百円程度だったという凄惨な生活を送る〜

〜『東遊記』連載時の酒井が雷句のもとで口にした愚痴〜

などなど、ここで出て来る「凄惨な生活」や「愚痴」など、正しい表現、もしくはこういった百科事典で書き加えるべき表現なのでしょうか?生活が凄惨かどうかについては本人の受け方次第ですし、もっと酷い状況でも悪い生活と思っていない生活者もいます。「愚痴」についても同じ事。少なくとも酒井君のあの訴えは愚痴ではありません。きっとこの記事を書いた人間にしてみれば「愚痴」と思ったのでしょうが、私は絶対にそうは思いません。こういった百科事典にて記事を書いた本人の主観を入れるべきではないと思いますが、どうなのでしょうか?

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』について。 雷句誠の今日このごろ。/ウェブリブログ (via otsune)
偶に「何故あの記事を取り上げないのですか?」というメールを貰う事がある。漫画記事なら何でも取り上げる、流行記事なら何とも取り上げるとか思われるのは困る。取捨選択は当然している。 http://bit.ly/1HqnCS Twitter / ゴルゴ31
Moore氏は『FIFA10 ワールドクラスサッカー』が日本でも好評だったことに関し「これまでに我々は、日本文化においてはジャンルの好み、プレイのメカニズム、キャラクターのアートなどが問題になるとしてきましたが、スポーツをシミュレーションするゲームではこれらの問題は関係なく、プレイが全てです。毎年FIFAシリーズが日本で苦戦しているのを見て私は失望してきましたが、今年の作品はこれまでに最も良いゲームと評価されMetacriticで平均91点を獲得。ファミ通でプラチナ殿堂入りした時の喜びを想像してみて下さい」 【ゲームニュース一週間】“洋ゲー”という偏見、示された意外な突破口 | インサイド
Sun Nov 8
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「批評」でググると一番上にエロゲー批評空間が出てくるとかもうだめだこの国 Twitter / kita@くぎゅ (via coshina) (via wideangle)
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岩田:
 私は、iPhone型のビジネスよりは、キンドル型のビジネスの方が興味があります。それはなぜかと言うと、お客様が通信費を負担するのではない、新しいビジネスモデルを提案しているからです。

 iPhoneが携帯電話の中で一定のシェアを持ち、さまざまなスマートフォンと呼ばれるプロダクトの中で最も成功したものであると、私自身もユーザーですけれども、そうなったというのは分かります。しかし一方で、iPodはもともとビジネスも大きかったので、iPodのビジネスがそろそろ限界に到達した時に、アップルさんは実にいいタイミングで電話への拡大を図られたな、というのがむしろ私の見方です。iPhoneで化けたというより、もともと化けていて、化けていたものが成長を鈍化させずに済んだというのが、実態ではないかと思います。ただ、いかんせん、お客さんは毎月何千円を払える人だけです。毎月何千円を払える方というのは、実は任天堂のお客様と相性が必ずしもよろしくありません。なにせ我々が作っているのは娯楽のための製品ですので、それに「向こう2年間、毎月何千円払うのを約束してください」というモデルは、なかなか相性が良くありません。

 一方で、キンドルのビジネスモデルはちょっと面白くて、いったんハードを買うと、中に3Gの通信機能が入っていて、いわば携帯電話のパケット通信ができるわけですが、お客さんは(通信のためには直接)お金を払わないんです。本をダウンロードで購入すると、その時に必要なパケット代は本の代金の中に入っているというモデルです。ただ、収益が上がっているわけではないと読んだことがあります。それでも、お客さんが負担しないでできている。しかも、最近はアメリカだけでなく、世界中に展開されています。日本のたとえばキャリアさんが、あのモデルにハッピーかどうかは私は分かりません。きっとどちらかというと、アンハッピーでしょう。ですが、うまくモデルをつくられたなあと思います。

 我々も、別に3Gのテクノロジーに恨みがあるわけではなくて、お客様が毎月お金を払うという構造ではない形で、何か面白いモデルが組み立てられたら、無線とつながればできることは増えますので、そういう可能性は否定いたしません。ただ現実に、それをしようとすればハードのコストアップも伴います。携帯ゲーム機はお客様が買える値段にしなければなりませんが、「任天堂は新モデルを出すたびに値段上げてるぞ」というご批判もいただいているようですので、「携帯型が据置型より高くていいのか」というようなことも含めて、未来の可能性の1つとして、無線とつながる可能性やその技術動向、そしてお客様が毎月お金を払うのではない形で、その技術をうまく使ういい方法というのを、我々なりのソリューションとして考えることによって、通信と携帯ゲーム機というのは本来相性がいいですから、その中で、未来のどこかで答えを出したいと思います。

 以前から私は、「携帯電話は付けないんですか」というご質問には、「いや、お客さんが毎月お金を払わなくてよくなったら付けてもいいですよね」とよく申しあげているんですが、その根っこは変わっておりません。

株主・投資家向け情報:2010年3月期 第2四半期(中間)決算説明会 質疑応答 (via yuki-fragment) (via uessai-text) (via pro-8) (via uessai-text) (via salz) (via kondot) (via pedalfar) (via appbank) (via takeori) (via fileo) (via 0024h) (via hsmt) (via ssbt) (via nagas) (via wideangle)
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正直、彼らの扱いを見る限り、日本は今後、経済大国のポジションを保持していないことを前提で考えているように思う。 アメリカ人が「日本はいらない子」と言っている気がする:村上福之の「ネットとケータイと俺様」:ITmedia オルタナティブ・ブログ (via wideangle)
アメリカ人と話していて、英語に訳しづらいと感じる文章として「上の者に訊いてみます」という日本語の定番フレーズがある。日本の給与所得者で「上の者に訊いてみます」「上の者に訊いてみないと分かりませんが……」という言い方を使ったことのない人は少ないだろう。ところでこの「上の者」というのが、なかなか英語に訳しづらい。直訳では”Boss”だろうけれど、日本の会社組織というのはなかなか面倒くさいことになっていて、プロジェクトチームがあってボスがいると、その下にナンバー2、ナンバー3、ナンバー4がいる。で、日本人が「上の者に訊いてみます」というときの「上の者」というのは、往々にしてボスではなくて、そのナンバー付けの中での「上の者」だったりする。ナンバー4にとってはナンバー3が「上の者」だし、ナンバー3にとってはナンバー2が「上の者」だ。おそらくサラリーマンにとっての「上の者」と同じニュアンスを持つ単語が、学生にとっての「先輩」(これもまた英語に訳しづらい単語なのだが)だろう。辞書によれば「先輩」の訳は”senior associate”だけれど、こんな単語はまず聞いたことがない(ちなみに”senior associate”の一般的な意味は「古参議員」だそうな)。 2009-01-03 - 日記&ノート(転叫院) (via otsune)