- MAEZIMAS: メモ。僕がライトノベルに期待するのはリアリズムであって内輪ネタではない。現代日本に生きる、ちょっと内気な少年であれば、当然、ライトノベルの一冊も読んでいるだろうし、そういう少年が、夜の街で日本刀持った女と出会えば、当然「シャナのコスプレ?」「これなんてラノベ?」と思うはず。 [http://twitter.com/MAEZIMAS/status/5558164495]
- MAEZIMAS: 00年前後のライトノベルには、そういうリアリズムが根付いた瞬間があってたとえばブギーポップを見て竹田君は「変身ヒーローだ」と言うし、「ネガティヴハッピーチェーンソーエッジ」でも、ヒロイン・エリちゃんを見た主人公は「美少女戦士だ」と形容する。 [http://twitter.com/MAEZIMAS/status/5558195278]
- MAEZIMAS: 現在だと、ベタな現代学園異能の主人公達の住む世界にはライトノベルが存在しないし、一方、日本刀持ったヒロインを見て「ラノベみたいだ」と形容すると『AURA』のような邪鬼眼・厨2病をテーマや、『生徒会』『俺妹』のようなオタネタ小説になる。このきれいな二分化が残念と思う。 [http://twitter.com/MAEZIMAS/status/5558285453]
- MAEZIMAS: ゲームの話になるが、僕が『カオスヘッド』を大好きなのも、主人公が2ちゃん語を連発するからとかではなくて、主人公が渋谷で剣を持った女子高生と出会えば「コスプレ?」「イタい人?」と思う、という自然な描写の元に描かれる現代学園異能バトルだからだ。 [http://twitter.com/MAEZIMAS/status/5558410168]
断絶タンブラー
ずっと睡魔のターン。
という女子はかなり高い確率で変わっていないが、
「オレ終わってるよな」
という男子はかなり高い確率で本当に終わっている。 コピペ新聞 - 私よく変わってるって言われるんだよねー (via kogumarecord) (via azazel-kode) (via genzohitone) (via ultra-omitamatic) (via gpjc) (via sonnygiba) (via shiroino) (via fishandmush) (via nemoi) (via tagkaz) (via ittm) (via wideangle)
個人が一つの大きなメディアになるということを意味する。twitterのフォロワーでの話しであるが、日本の大手新聞社の一角を占める毎日新聞のフォロワー数よりも私のフォロワーのほうが多いのだ。そして、メルマガやブログなどでマネタイズが可能になる。既にアフィリエイト広告などでかなりの収益が上がるようになっている。しかも、スタッフは私一人である。経費はほとんどかからない。
もちろん、新聞社は取材などの経費やスタッフが必要なのだろうが、私はそういった部分も記者クラブ開放などを通じて独立したフリーランスがウェブも活用しながら独自に収益化していくと考えている。現状は、上杉隆氏や神保哲生氏、そしていくつかの独立系報道プロダクションやフリーランスなどなど限られた数しか収益化できていないが、いずれもっと多くの個人か数名の一次情報取材メディアが収益化していくと思われる。
それらが、twitterやRSSリーダなどを媒介として読者に選別されていくのだ。
それはもちろんロングテール構造であり、一部少数のドミナント個人メディアが巨大化する。それらの収益力は莫大なものになる。また、そのインフラを支えるのも少数のドミナントだ。twitterやgoogleがそれにあたる。収益面ではappleやamazon、楽天などもそれに加わるだろう。
その時マスメディアはどうなっているのだろうか。
個人メディアがマスメディアを凌駕する時代|堀江貴文オフィシャルブログ「六本木で働いていた元社長のアメブロ」by Ameba (via yaruo) (via wideangle)確かに小説や漫画や映画の世界では、「トラウマ」というのは、「『克服』されなければならないもの」として取り扱われている場合がほとんどです。そして、それらの作品の登場人物は、さまざまな困難にもめげずに、その「トラウマ」を乗り越えていくのです。
でも、普通の人間にとっては、「トラウマ」というのは「必ずしも克服可能なものではない」のも厳然たる事実なんですよね。たとえば、子供の頃に親に虐待されていたというトラウマを持っている人が、大人になったときにその親を赦して和解できるか?という場合、すべての人が「僕の親なのだから」「私も大人になったのだから」ということで、自分を納得させることができるわけではないと思うのです。いやもちろん、そこで和解できれば「幸せ」なのかもしれないけれども、人間の感情というのはそんなに簡単に切り替えられるようなものではないんですよね。
しかしながら、そこで「和解できない」のも当然のことなのにもかかわらず、「トラウマは乗り越えなければならない」という強迫観念のために「虐待されたトラウマ」+「トラウマを乗り越えられない弱い自分を責める気持ち」に二重に苦しめられてしまうようなことも、現実にはけっして少なくないのです。ドラマに感化されてしまった「トラウマを持たない人」たちは、「人間として、親を赦せないのはおかしい!」なんて平然と口にしたりするものですし。
もちろん、「トラウマ」を乗り越えて幸せになれるのだったらそれに越したことはないのですが、多くの場合、生きるというのは、いろんな「捨てられないネガティブなもの」を抱えながらの旅になってしまいます。でも、そんな荷物の重さに苦しみながらも、人は綺麗な景色を観て感動することができるし、美味しいものを食べたときには頬が緩んでしまったりもするのです。
トラウマを抱えながらでも「それなりに幸せになるという道すじ」だって、たぶん、たくさんあるのです。少なくとも、僕はそう信じています。そもそも、全く挫折のない人生なんて存在しないだろうとも思いますしね。