断絶タンブラー

ずっと睡魔のターン。

Tue Nov 22

「昔のインターネットはオタク・非モテ・コミュ障にとって救いだった」という意見があるだろう。

それは昔のインターネットが本当の意味でグローバルではなかったということだ。

昔のインターネットコミュニティには、ほとんどオタクしかいなかった。

「開通作業が面倒」「接続料金が高い」「遅い」「見たいコンテンツが無い」などの要因がボトルネックとなって、

一般人の参入が妨げられ、オタク以外がふるいにかけられた世界になっていたのだ。

そこはオタクが圧倒的な多数派であり、オタクが常識をつくっている世界だった。

「インターネットでの普通」は、「オタクにとっての普通」と同義語であり、

一生独身、アニメ・マンガ・ゲーム好き、インドア、非モテ、童貞、服はダサい、髪型は床屋、

この生き方が「普通」として容認・歓迎されていたのである。

 

しかしインターネットというものは、一般人をも飲み込んでいく。

mixiでリア充を取り込み、モバゲーで情弱、ニコニコで”オタDQN”層、Facebookやtwitterで”意識の高い”層を取り込んだ結果、

インターネットは既にオタクのものではない。

これからネットを使いこなす老人が増えれば、「若者のもの」でもなくなる。

インターネット上の人口構成がリアルの人口構成とさらに近づいてゆき、

あらゆる世界、あらゆるグループ・組織に所属する人間がインターネットに参加するようになる。

そして全日本人の認める「普通」のスペック、「普通」の生き方というものが、インターネットによって広く知らしめられる。

弱者ばかりが集うコミュニティで独自の「普通」基準を制定し、「普通」を充たしている気になっていた人間たちに、それは暴力的に襲い掛かる。

 

初期のインターネットと現在のインターネットは全くの別物である。

前者は弱者に優しい逃げ場所であり、後者は「グローバル化された普通」という圧力によって、弱者を容赦無く叩きのめす残酷な場である。

坂口さんを「普通の女子大生」として広く紹介する残酷さ、それが「今のインターネットというもの」なのだ。

「グローバル化された普通基準」の持つ暴力性